【F.A.G】プロローグ
「死ねっ!」
デボは吐き捨てた。
もう何度目かもわからない。
「いいか!?俺はお前の上司だ!つまり不運にも、おれにはお前を指導する責任が生じてしまう!お前のような便所虫とは一文字たりとも言葉を交わしたくないのにだ!」
ここは製紙工場で、デボは現場の責任者だ。今も事務所の薄い壁の向こうでは、バカでかい機械がバカでかい紙切れを小さな紙切れに切り分けている。
「言ったはずだ!何度も言った!おれの半径五メートル以内に近づくなと!なぜ同じことを繰り返す!?お前の脳味噌はお散歩中なのか!?」
悪いがそれは無理って話だ。作業場は狭い。だがこの男は、その一因が自身の醜いビール腹にあることすら気付いてない様子だ。
「俺は他の奴とは違うってか!?不満そうなツラしやがって!生意気なんだよゴミ屑野郎!みんなお前にはウンザリしてんだッ!」
ドブ川のあぶくみたいな声でさらに捲し立てる。
息が臭い。きっと昼飯はてめえの糞を食ったんだろう。
「消え失せろッ!」
デボは最後に唾を散らすと、扉を蹴破るように事務所から出ていった。
俺は奴の望み通り、ここから消えることにした。俺だってお前のツラは見飽きてたんだ。
『弱く幼い頃、人は誰しも周囲の助けや愛情を借りて育ってゆく。そして自分が強く大きく成長したとき、今まで受けた愛情を他の誰かに返すのだ。』
そんなもんは嘘だ。
人は他人を『自分にとって利益がある存在かどうか』としか見ていない。他人との関係にそれ以外のもんは存在しない。
生きていく上で必要なのは強者にすり寄り、弱者を叩くことのできる才能だ。大多数の人間が他人の顔色をチラチラ覗き見しながら生きていて、その空気で世の中ってのは形成されている。
『世界は広い。今は孤独で辛い思いをしていても、あなたを理解して、愛してくれる人がいつか必ず現れる。』
それも嘘だ。
集団には必ず中心になる人間がいる。学校も職場にも、どんなコミュニティにもだ。そのほとんどがおだてられ、祭り上げられているだけの能無しのカス野郎だ。頭数だけの取り巻きを従えた、下らねぇ馴れ合いの群れ。デケェ声で愛想笑いかまして、『俺たちが中心だ』『正義だ』ってふんぞり反ってる。
確かに俺は器用じゃない。みんな一緒に仲良しこよしなんて柄じゃないし、誰彼構わず愛想を振り撒くことなんてできやしねぇ。目付きだって悪いかもな。
でも、それでも必死にやってきたんだ。俺は俺のやり方で、一生懸命生きてきた。仕事だって手を抜いたことは一度もない。
だけどデボや周りの奴らはそんな俺が気に食わなかったらしい。ヘラヘラ上のご機嫌伺って、足並み揃えてチンタラ行進するように生きている奴らにとっては、俺はまるっきり目の上のタンコブでしかなかったみたいだ。
いいよ別に。『お前ら』に認められるってことは『お前ら』と同類ってことだからな。
そんなこんなで今回もおれは居場所と銭の稼ぎ口を失って、見慣れた街を慣れない時間にチンタラ彷徨(うろつ)くことになってしまった。
ひしゃげたガードレール。下に覗く細いドブ川と、バケモノみたいな雑草の群れ。足元のアスファルトだけが妙に真新しく舗装されている。
路地を一本抜けると大通り。疎(まば)らに転がる民家の合間に、切って貼ったように並ぶファミレス、コンビニ、雑居ビル。
まるでやけくそのジオラマだ。
オマケみたいなバス停。人が待っているとこなんて見たことないのに、タバコの殻(ガラ)だけはいっつも散らばってる。
ベンチに腰を下ろす。
別にバスなんか待っちゃいねえけど。
時間は午後の夕暮れ時。風はちょっと冷たいけど、まあ凍え死ぬほどじゃない。
景色を眺める。どこにもピントを合わさないまま。
デタラメな街並みのフレームに、不規則に横切る人や車。ヘンテコなピンポンゲームみたい。
遠くで黒煙を上げている煙突のバカでかさに、少しだけ救われた気分になる。
でもこうやって座ったまま、自分の明日のことや、母親のこと、いつの間にか足元に寄ってきた野良猫(ノラ)の未来なんかを考えたり、お気に入りの歌詞の本当の意味っぽいことに気付いたり、昔好きだったアイツとか、あの日溶けちゃったアイスキャンディーを思い出したりしていると、やっぱりなんだか良くない気分になるんだよな。
頭ン中がガッチガチに固まって、脳ミソは沸々煮えてくるみたい。
心臓がムズ痒くて、全身が弾け飛びそうで居ても立ってもいられない。
そんな時、答えは一つなんだ。
あの場所へ行くしかない。
誰だって知っている。
クソみてえなこの街の、とびきりクールでイカれた戦場へ行くしかないんだ。