【F.A.G】バラクーダ⑱
「…奴ら、『主の指』の団員よ」
モリソバは『これだけ言えばわかるだろ?』といった表情で俺の顔を見返した。
『主の指』…ここらじゃあ知らない者のいない、イカれ腐ったカルト集団だ。
奴らの反吐が出るエピソードは、この街で生きてれば飽きるほど耳に入ってくる。
奴らが駅前で『宣教活動』をしていた時のことだ。懸命に演説に励んでいた団員に、三人の酔っ払いが絡んできた。軽い揉み合いになった後、酔っ払いの一人がその団員の顔を殴り付けた。
スッ転んで痛みに呻く団員を嘲りながらその場を後にしたチンピラ共に、地獄が待っていたのは数日後のことだった。
三人はそれぞれ同じ時間に、別々の場所で『何者か』に拉致された。そしてその団員を殴ったのと同じ右の拳を、調理用ミキサーでスムージーよろしくグチャグチャにシェイクされたのだ。
三人の内二人はその時の痛みでショック死をしたらしいが、残りの一人の行方は未だに判明していない。
まあ、少なくとも今も生きているということはないだろう。
『拒むな、さすれば主、与えん』
奴らにとって自分やその仲間、そして何より自身の信仰に仇なす者は全て敵であり、それを侮辱されたと判断すれば、どんな手段を用いても『粛清』を決行する。
この街に起こったどんな事件やトラブルも、奴らの名前が出てきた時点で、唯一で最適な解は『沈黙』なのだ。
【F.A.G】バラクーダ⑰
丈威が再び夢の世界へと旅立ち20分程経った時、玄関の呼び鈴が、奴の空襲並みのイビキの中に鳴り響いた。
鍵を開けて出てみると、モリソバが肩を落として立っていた。腹の中に砂利でもブチ込まれたみたいに青ざめた顔をしている。
どうやら悪い知らせの様だ。
「良くない、良くないのよ。本当、なんで君達はこう、トラブルばかり持ち込んで来るのかしら。たまにはこっちの苦労も考えて欲しい訳なのよ。全く君達のそういう…」
モリソバは俺と向かい合う形でソファに腰を下ろすと、いつもの調子でウダウダと愚痴を撒き散らし始めた。
ちなみに丈威はまだ、俺の後ろでオヤスミ中だ。
「わかったから、取り敢えず結果だけ聞かせてくれや。あいつらが何処の誰だか、まずそっちだろ?」
話を途中で遮られたモリソバは露骨に嫌な顔をしたが、自身のくたびれた口髭をひと撫ですると、渋々といった様子で口を開いた。
【F.A.G】バラクーダ⑯
【PM 8:20 事務所にて】
「あンのクソゴリラがぁーッ!!」
丈威は足元の丸テーブルを思い切り蹴飛ばした。
事務所に戻ってきてからずっとこの調子だ。
それも無理はない。こいつは今まで自分の意見という名の我が儘を、腕っぷしひとつで周りに無理矢理納得させて生きてきたような男なのだ。一対一でここまで見事に叩きのめされたのは、恐らく人生で初めての経験だったのだろう。
「うるせーよバカ、傷に響くだろうが」
そうは言ったものの、俺には暴走した冷蔵庫みたいな丈威を止める気はさらさら無かった。
というより、そんな体力は残っていないと言ったほうが正しい。
ポトロにぶちのめされ、暫くして目が覚めた俺は、ズタボロの体を引き摺りながら、まだ夢の世界で散歩中だった丈威をおぶって何とか事務所まで帰ってきたのだ。
「苛ついたって仕方ねぇだろうが。奴ら、何処の誰かもわかんねぇんだしよ」
「じゃあどーしたらええんや!?ここでチンタラ待っとったらペコが勝手に戻ってくるんか!?」
「だ、か、ら!モリソバのオッサンに頼んで調べてもらってるって言ってんだろ。何回同じこと繰り返さすんだテメェ」
「…ンガァー!!クソッ!!!!」
丈威は大袈裟に一つ、地団駄を踏むと、
「俺寝るけん!オッサン来たら起こしてくれや!」
と言ってベッドの上にダイブした。
たまにこいつの超絶単細胞な生き方が、死ぬほど羨ましくなる時がある。
【F.A.G】バラクーダ⑮
気絶しているペコをポトロが肩に担ぐのを見ても、俺はその場を動けなかった。
「行きましょう、大法師様」
ポトロの言葉に、置物みたいに突っ立っていた女は頷き、奴の大きな背中に続いた。
今の一連の出来事の中、まるで自分だけは関係ありませんよって感じの澄まし顔をしている。
それでいて足取りはオドオドと頼りなさ気で、俺はそんな女の態度に堪らなく腹が立った。
いや、違う。俺が一番腹を立てているのは自分自身に対してだ。
いきなり現れた災害みたいな大男に、大事な二人の仲間をボロ雑巾のように扱われ、しかもその内の一人は拉致されようとしている。
そこまで頭で理解していても、俺の体はまるで金縛りにあったみたいに動かない。他人の借り物みたいに足が言うことを聞かない。
そんな自分が心の底から憎らしくて、どうしようもなく情けない。
恐怖と葛藤と羞恥心が渦巻く中、視線を感じて顔を上げた。
いま正に扉から出て行こうとするポトロが、俺の顔をじっと見ている。
言葉はない。だが、奴は言っていた。
情けない俺の姿を見て、奴の顔は確かに物語っていたんだ。
『利口なのはお前だけだったな、腰抜け野郎』
丈威…
ペコ…
気がつけば、俺はポトロに向かって駆け出していた。
最後に見たのは奴の憎たらしいツラが薄ら笑いをしている場面で、そこから俺の記憶は、突然舞台の幕が下りたかのように、一瞬で途切れて闇に消えた。
【F.A.G】バラクーダ⑭
「訳のわからんことばっか抜かしやがって!ペコになんする気や!?クソ野郎!!」
俺の位置から辛うじて分かる程度だか、丈威の体は震えている。
「喋るな、ゴミ。お前には何も説明する義理はない。大人しくそこでマスでもカいていろ。混血野郎(ざっしゅ)」
ポトロはペコの方に視線を向けたまま言い放つと、唇に人差し指を立てる仕草をした。
「テメェ!!!!」
瞬間、丈威は雄叫びを上げると、ポトロ目がけて勢いよく飛び掛かった。
「やれやれ、暴力は嫌いと言ったろう」
ポトロは丈威の渾身の右ストレートを軽くかわすと、逆にがら空きになった奴の顔面にハンマーのような拳を叩き込んだ。
「ぐおッ!!」
丈威はトラックと激突でもしたかの様に盛大に吹き飛ぶと、後ろの壁に顔面から叩きつけられ、そのままピクリとも動かなくなった。
「これだから馬鹿は嫌なんだ。…ん?」
ペコの方に向き直ったポトロは、何かに気付いたのか、視線を下に落とした。
見ると、ペコの左手が奴の胸ぐらを掴み上げていた。
「こ、この野郎…許さねぇ…絶対に許さねぇッ…」
ペコは恐怖で全身を硬直させながらも、自分よりも頭ひとつほど大きな男に向かって鋭い視線を浴びせている。
「お前もか。あまり手を焼かせるなよ」
ポトロは埃でも払うかの様にペコの手を振りほどくと、鳩尾に膝を蹴り込んだ。
ペコは一瞬で脚の骨を抜き取られた様に、吐息一つ立てずにその場に崩れ落ちた。
【F.A.G】バラクーダ⑬
「まず一つ、聞こう。間違いがあってはいけないからな。こちらの方に見覚えはあるか?ゴミ」
ポトロは女の方に手を向けた。
質問されたペコは、まるでアラスカに裸(マッパ)で放り投げられたように体を震わせながら、頭を上下に動かした。
「よし、いいだろう。私達は救世主(メシア)の啓示に導かれ、ここへやって来た。その内容はこの方、我等が大法師様の将来の伴侶となる者がこの場所に現れるというものだった。ここまではいいか?」
ペコは顔面を強張らせたまま、まるで殺人現場にでも鉢合わせたかのように全身を硬直させている。
無理もない。端から見れば俺と丈威も似たようなもんだろう。
「イエスと取るぞ。話を続けよう。つまり結論から言うと、その身に余る光栄を受ける立場となったのがゴミ、貴様だったのだ。」
ポトロは視線を外し、一つ小さく溜め息を吐くと、再びペコの方に向き直り、話を続けた。
「断っておくが、私は暴力というものが好きではない。なぜならそれは、人と人との対話を無に帰してしまうものだからだ。根本的に何の解決にもならないしな」
その言葉とは裏腹に、奴の全身に怒りのオーラが見え隠れするのがわかる。
「だが、それは相手が話し合いの通じる相手に限る。貴様は高き天の啓示に背を向けたばかりか、我等が大法師様に手を上げ、その純真なるお心を踏みにじったのだ。罪深き者よ…」
ポトロは大袈裟に自身の眉間を摘まんだ。
「救世主の名の下に、聖痕(スティグマ)の裁きを実行する」
そう言って、奴がペコへと一歩、にじり寄った時だった。
「待たんか、テメェ!」
丈威が渾身の勇気を振り絞り、声を上げた。
【F.A.G】バラクーダ⑫
『そいつ』はまるで暖簾のように開いた扉を潜ると、無言で部屋に足を踏み入れた。
俺はというと、情けない話だが、その圧力に尻込んでしまい、自然と道を譲る形で体を避けてしまった。
ツータックのスーツにレザーのロングコート、革靴にワイシャツにネクタイまで全てが白で統一されている。
短く刈り込んだ坊主頭に整えられた口髭。やや色の付いたメガネから鋭い眼光を覗かせるその男の身体は、身長が180センチを越える丈威よりさらに二回りはデカかった。
ゴリラの進化の隣人さながらのそいつは、部屋の中央付近まで歩いてゆくと、まるで親の仇でも探すような殺気の籠った視線で、俺達三人の顔を順番に凝視した。
「大法師様、どのゴミですか?」
男は一通り俺達を見終えると、後ろを振り返り何かに話しかけた。
見ると、巨体に隠れて気付かなかったが、男の後ろには先程の女が立っていた。
女はゆっくりと男の前に歩み出ると、ペコの顔を指差した。
バカでも判る、これはヤバいやつだ。
男がペコへ向かって歩き始める。
「ポトロ、いけません…」
「わかっています、大法師様。ここでは手出しはしません」
ポトロと呼ばれたその男は、右手で女の声を制止すると、
「抵抗しなければ、ですが」
と付け加えた。
ポトロはペコと相対すると、やれやれ、といった様子で首を振り、借りてきたトイプードルみたいに縮み上がっているヤツに向けて話し始めた。