【F.A.G】パリサイド⑤

傾いた木製ベッド。ヤニと焦げ目まみれのテーブル。
安物の合皮のソファは、あちらこちらで詰め物がコンニチワしている。
隅っこのひび割れたブラウン管は、この前道端でスカウトしてきた新入りだ。

膝下くらいの高さの冷蔵庫からビールを取り出し、ソファに尻を投げる。
テーブルの上で干からびて瀕死状態のジャーキーは、多分昨日か一昨日の生き残りだが、まあ無いよりはマシだろう。

テレビの電源を入れると、小さな枠の中でバカなフリしたタレントが、日本全国の本チャンのバカ共に向けてバカみてぇな『トレンド』とやらを提供していた。
くだらねぇ。が、BGMには調度いいかもな。

そんなこんなでいつも通り、時の流れを鼻クソみたいに扱ってると、知らぬ間に缶の中身は空っぽのスッカラカンだ。
小便をしてベッドまで移動しようかとも考えたが、脇に放っ散らかしてあった上着を被って寝転がると、途端に色々と億劫になってきた。

最後の力を振り絞ってテレビの電源を落とし、電球の光を避けるようにソファに顔を埋める。
そうすると、ゴミ溜めみたいなこの部屋と現実は闇の中に全部溶けて消えて、同時に俺の意識もどこか遠くへ旅立ち始めた。

【F.A.G】パリサイド④

「違ぇねえな」

俺はカウンターを立つと、イサキに向かって小さく手を挙げて、それを礼の代わりにした。

「あんたもあまり無理すんなよ。残り少ない余生なんだ、楽しんでいけや

「馬鹿野郎ッ」

イサキは笑うと、短くなった巻き煙草をスチールの灰皿に押し付けた。

俺はそんなイサキの様子に合わせるように笑うとその場を後にし、薄暗くカビ臭い廊下を通り抜け、裏口のドアから外へと出た。



ハウスを出て錆びれかけの繁華街を抜けると、町工場の群れが五十メートルほど続いている。
それを横切りドブ川沿いをさらに下流に進むと、汚い掘っ立て小屋の建ち並ぶ一角が見えてくる。
そのほとんど人が住んでいない廃墟の中の比較的まともな一軒が、俺に与えられた家だった。

腐りかけのベニヤ造りの玄関扉の、錆びた蝶番に付いた南京錠を開け、中に入る。
暗闇の中、手探りで壁のスイッチをオンにすると、天井の裸電球が二、三度チカチカ躊躇った後、部屋の中を照らし始めた。

【F.A.G】パリサイド③

ショーハウスF.A.G。社会に居場所のない糞餓鬼の溜まり場。ろくでなし共の最終地点。
全うに生きてる人間には一生縁のないごみ溜めだが、俺にとっちゃあお似合いの場所だった。

元々人よりは多少腕っぷしが利くほうだった俺は、ここで『警備員』として雇われた。
まあ警備といっても主な仕事は、羽目を外してはしゃぎ過ぎたジャンキーを摘まみ出したり、血の気の多い客同士のいざこざの仲裁に入ったりと、早い話が雑用係の便利屋だ。

「あんたには感謝してるよ。仕事にも別に不満があるわけじゃないさ。ただ…」

俺は頭の上で両手を組み、一度大きく背筋を伸ばした。

「やはり、もう年かね。体の調子がついて来ないんだ。たまに客のガキ共が羨ましく感じるよ」

「俺から見れば、まだお前さんも十分若いさ」

イサキは吐き出した紫煙の行方を追いながら、励ましとも懐古ともわからない台詞を呟いた。

「何にせよ、どう転んだって明日は来るんだ。さっさと帰って寝ちまうこったな。こっちもそろそろ店仕舞いだ」

【F.A.G】パリサイド②

「顔色が優れないな、リベラ。何かあったのか?」

俯いていると頭の上から声がした。
それがイサキのものだと気づいたのは、顔を上げた後だった。
無口なこの男が話し掛けてくるのは珍しく、最後に声を聞いたのはいつだったか、すぐには思い出せないほどだ。

「別に?何かあったって程じゃないさ」

「ノータリンのガキ共のお守りはもう飽き飽きか?まあ気持ちは分かるがね」

イサキは皺の刻まれた口元を少し緩めると、巻き煙草にマッチで火を点けた。




前の『職場』で何やかんやと色々あって、すっかり自分の人生とツキの無さに参っちまった俺は、流れ着いたこのクソみたいな街でルンペン同然に生きていた。

その日暮らしの素寒貧(すかんぴん)生活に嫌気が差しながら、かといってそれを変える気力も甲斐性も無かった死人同然の俺を拾ってくれたのがイサキだった。

イサキはここのオーナーに話を通し、俺はそのお陰で仕事にありつくことができた。
そればかりか、一日の終わりにはこうやって(やや口には合わないが)ビールを一杯ご馳走してくれる。

寡黙で人付き合いも良いとは言えない男だが、少なくとも俺にとっては命の恩人だ。

【F.A.G】パリサイド①

首根っこを掴んで裏口から放り出すと、糞餓鬼は間抜けな声を上げてアスファルトの上に転がった。
起き上がって逃げ出そうとするが、アルコール(と何かしら)のせいでなかなか上手くいかず、結局半分這いずるような形でノロノロとその場を離れていく。

別にこれ以上何もするつもりはない。ゆっくりと帰ればいいさ。

暫くその様子を見守った後、俺は扉を開けて中へと戻った。

中越しに喚き声が聞こえる。きっと中指の一つでも立てているんだろう。
好きなだけ恨めよ。それすらも俺の砂粒みたいなお給料に含まれてるんだ。











【第二章 パリサイド】











ハウスから客が引き、ある程度仕事が一段落すると、俺は隅に備え付けられたバー・カウンターに腰を下ろした。
その様子を見て、カウンター越しのイサキは半透明のジョッキを手に持つと、サーバーから琥珀色の液体を注ぎ入れ、無言で俺の前に差し出した。

俺はそれを受け取ると、小さく弾けている泡に口をつけて、胃の中に流し込んでゆく。

薄いビール。いつもと変わらない味。此処で働き始めて半年ほど経つが、こいつの不味さにはなかなか慣れない。

一気に飲み干してジョッキを置く。ため息混じりの欠伸が漏れる。ここ最近ずっとこんな調子だ。

【F.A.G】バラクーダ⑳

「ちょ…!ちょっと待つのね!!待って!!教える!!教えるから離すのねッ!!」

豚足みたいな両脚をバタつかせるモリソバを解放してやると、奴は首元を擦りながら呼吸を整えた後、ごくりと一度、喉を鳴らして話し始めた。

「私が知っている訳じゃないのね。知っている可能性がある男に心当たりがあるだけよ」

「十分だ。それで?誰なんだよそいつは」

「それは…」

「…おい、ちょっと待て」

モリソバが答えようとすると、丈威が掌をかざして割って入ってきた。

「もう一つ、問題があんぜ。奴らの居場所がわかったとして、あのポトロって奴をどうすっと?俺ぁまたあんなバケモンの相手をすんのはゴメンたい。いや、あいつ一人じゃねえ。俺ら三人で乗り込むとして、奴ら、もっと大人数で待ち構えてるかもしれんぜ?」

「いや!待って!なんで私も数に入ってるのね!?」

「確かに、丈威の言う通りだ。あのゴリラ野郎をどうするか…」

抗議を無視して俺達二人が無言で考え込むと、モリソバは諦めたかのように首を振って、見るからに不服そうなツラで口を開いた。

「…私が知っている男なら、それもまとめて解決できるかも知れないのね」

「ん?どういうことや、オッサン」

丈威と俺はシンクロして首を傾げた。

「さっきも言ったけど、あくまで『可能性』の話よ。あの男が他人の頼みを素直に聞くとは思えないのね」

ここまでのいざこざを一気にまとめて吐き出すかのように、モリソバは特大のため息をついた。











【バラクーダ】了

【F.A.G】バラクーダ⑲

「まずいな…」

考えうる最悪の答えだった。いや、モリソバの話を聞く前から、本当は薄々感づいてはいた。自らその可能性に目を背けていたのだろう。

だがいずれにせよ確かなのは、今こうしている間にもペコの身が窮地に追いやられているということだ。

「…で?どーすんだよ。このまま指咥えてチンタラ待ってりゃペコが帰って来んのか?」

いつの間に目覚めたのか、丈威はまるで俺の心を見透かしたようにベッドの上から話しかけてきた。

「死ぬぜ?あいつ」

「んなこと絶対させねぇよ。でも…」

俺は頭を抱えた。

「無理だ。奴らの居場所(ヤサ)なんて誰も知らねぇ。そこらの下っぱ捕まえたってゲロしねぇだろうし、街中全部探してたらキリがない」

俺の言葉に、さすがの丈威も枕に顔を埋めると、ダンマリを決めこんでしまった。









「…無いわけじゃないのね」

沈黙の中、モリソバが唐突に口を開いた。

「あンだって!?」

丈威がやや不機嫌な口調で返す。

「方法よ。無いわけじゃないのね…。でも…そうね…やっぱりこれは良くないのね。奴らに逆らうのはどう考えても良くないのね。巻き込まれるのは目に見えてるもの。結局のところ…」

「訳わからんことゴタゴタ抜かすなや!あるんか!?方法が!!」

丈威が語気を強める。

「手掛かりがあんのか!?頼むよオッサン!教えてくれ!」

俺達は二人揃ってモリソバの胸ぐらを掴み上げた。